現在弊社より発行中の「オガワホームかわら版 まいたうんレポート番外編」では、今回、上野の岩崎庭園訪問記をとりあげました。いつもの社員3人による弥次喜多道中記仕立ての筆で書かれていますのでどうぞご覧あれ。
さてここでは「K氏」こと私の建物にまつわるウンチク話など、さらりと少々。
これが三菱の三代目社長岩崎久彌の邸館(明治29(1896)年竣工)です(▼)。これでも一応「木造2階建て」一戸建て住宅です。とりあえずは私達庶民がよく用いるのと同じ構造形式ということになります。
設計者はジョサイア・コンドル、明治政府のお雇い外国人建築家で工部大学校(現・東大)の教授でした。あの東京駅や日本銀行を設計した辰野金吾ら最初期の明治の建築家達の育ての親でもあります。
それはさぞかし偉そうな人では?・・・と思いきや、本国イギリスで若手の登竜門のコンペで「ソーン賞」を射止めた新進気鋭でありながら、求めに応じて日本に渡って長年日本で設計と教育を行い、ホンネは大の日本贔屓、日本オタク(失礼)。
当然、学生からも人気の先生だったそうです。
次に裏側、庭園側の威容です(▼)。
そうそう、この長大な列柱の柱には鉄製の心材が入っているのだとか。地震への備えは、一応明治の昔からあったのだそうです。
昔の洋風建築は大抵「○○様式」という名前で箔を付けていたものですが、岩崎邸の場合は「ジャコビアン様式」だそうで。聞きなれない様式名なのでググってみると、ゴシックと古典を混在させたジェームズ1世時代の様式ことだとか。列柱のベランダは確かに古典的風味を感じさせますが、総じて私の印象では装飾と変形に満ちたバロック的な印象が勝っていたかな・・。
さすが文化財。芝生の庭(上写真手前)のマンホールの蓋に「放水銃」と書いてあるのにがぜん興味が向いてしまうのでした(▼)。
ニュースで時々見かける白川郷や法隆寺の消火訓練のように、いざという時、地上から建物に向って勢いよく放水されるあれですね。
こちら(▼)は「離れ」で、ビリヤードに興じるための場所「撞球室」 。住宅とはいえ社交上の施設のひとつであることがわかります。凝ったログハウス風なのが印象的です。なんと本館から地下通路を通って行くことができるのです。着飾ったご婦人方もこれなら雨の日でもOKというわけですね。
和館も見ました(▼)。特に目を惹くのは欄間、襖の引手、釘隠しの金物・・・「三階菱」のモチーフがあちこちに。三階菱とはあのスリーダイヤの元になった家紋の模様です。
設計したコンドルさんの日本贔屓は、日本画家河鍋暁斎に弟子入りするなど日本趣味に思う存分ハマり、日本人の奥さんをめとり、そのあげくに日本で亡くなり、今日でも護国寺に眠っておられるという徹底ぶりでした。
これは(▼)以前に撮った写真ですが、(ウチの親戚が護国寺の檀家ということで)偶々みつけたコンドルさんのお墓です。
威風堂々というよりは、自然の石をポンと置いてご夫婦の名を刻んだ質素な感じです。飾らない人柄が滲み出ているようで感銘を受けたものですから、最後はこのお墓の写真で・・しみじみと。